こんにちは、エフリパです!
私たち夫婦の子どもは、妊娠34週で切迫早産の状態から誕生しました。2,000g未満の未熟児です。この記事は、そんな我が家の壮絶だった出産レポートです。
切迫早産は、これからお子さんの生まれてくるどの家族にも起こり得ることです。早産となっても安心してもらえるよう、切迫早産での入院から出産までのレポートをお届けします。
切迫早産は、お母さんが早産になりやすい状態のこと
切迫早産、聞いたことはあるけどよく分からない人もいるんじゃないでしょうか。特にパパに多いかもしれません。
まず早産とは、妊娠37週未満で赤ちゃんが生まれることです。早産で生まれてきた赤ちゃんは早産児と呼ばれます。
対して切迫早産は、お母さんが早産になりやすい状態のことです。例えば、妊娠37週未満の時期に通常より子宮口が開くような場合がこれに当たります。
少しFP目線での話をすると、切迫早産の通院・入院は保険適用なので、医療保険に入っていれば給付金を申請できます。出産自体は保険適用外ですが、切迫早産はお母さんの状態(症状)であるためです。
切迫早産での実際の入院費や、制度についてはこちらの投稿で紹介しています。
34週3日:突然の切迫早産
ここからは、ベビが生まれるまでのレポートをお届けします。
我が家のベビの出産予定日は2024年3月31日でした。予定日が年度の切り替わりと近いので、妻や家族と「早生まれになるかな?」とよく(のんきに)話していたものです。
初めての出産で里帰り出産を決めていてたので、妻は私より先に帰省先の実家へ移動していました。2月10日のことでした。計画では、私は3月末の出産まで静岡で仕事をして、出産に合わせて4月いっぱいの1カ月間、妻の実家で産後パパ育休を取る予定でした。
2月20日、里帰りして初めての妊婦健診があり、私も「赤ちゃん元気だったよ~」と連絡をもらい離れた静岡で安心していました。
翌日、2月21日水曜日の朝、いつも通り仕事をしていると妻から電話が。「お腹張って痛いから産婦人科行ってくる。もしかしたら陣痛始まったかも」
慌てて上司に状況を伝えて、いったん明日は実家でテレワークさせてもらうことに(地元は妻と同じです)。仕事が終わって実家に移動して、すぐ病院に行く準備だけはなんとかできた。ひと安心…
妻のお腹の張りは気のせいではなく、切迫早産で入院することに。予定日は1カ月以上先で、この時まだ妊娠34週3日でした。
2月22日、点滴でお腹の張りや痛みは治まっているようでした。点滴をとって張りがなくなれば退院できると聞いて、エフリパは心の中で安心していました。テレワークを中抜けして妻の面会に行くと、少し痛そうながらも元気だったので、このまま回復して退院できるんじゃないかと思いこみました。この様子なら、明日からの3連休で静岡に帰って、「お騒がせしました!」と職場に明るく戻るのをイメージしていたんです。
2月23日、この日は金曜日、祝日でした。里帰りした週に妻と見に行ったチャイルドシート、妻が入院中なので母親と買いに行き、その帰りに面会へ。張りが強くなって、一回減った薬の量が戻ってしまったとのことでした。それでも、「妻は元気みたいだし生まれることはなさそうだ。日曜日には静岡に帰ろう」と楽観視していました。
あ、「出産前日まで」はここで終わりです。
34週6日:壮絶だった出産当日
2月24日 土曜日、家族と外食ランチが終わってスマホを見ると、妻からの不在着信が。LINEには「大きい病院に緊急搬送になった…電話折り返しできたら欲しいです」
子宮口が5~6センチ開いていて、救急車で搬送されたとのこと。
なんで電話気づかなかった?!アホなのか?? 病院に急いで向かうと、妻はなんと分娩室にいました。
もう分娩が始まる訳ではなく、「様子を見て張りが治まらないようなら点滴をやめて、そのまま分娩にします」と先生に伝えられました。
その後も張りは治まらない一方で、「これ以上点滴を続けてもお母さんと赤ちゃんの体力が持たない。点滴を取りましょう」と先生。確か17時ごろでした。この時点で、陣痛が始まるのを待つことが決まりました。
この時の私は、「もう生まれるってこと?」と事態は分かりつつも心の準備はできていませんでした。
妻は病院食、私はコンビニで買ったご飯を一緒に食べ終わったのが19時前ごろでした。陣痛は始まっていましたが、痛みがない時はまだ普通に会話ができていました。
20時半ごろ、私は実家に戻り、タオルやテニスボールなど陣痛グッズを調達しに行きました。21時ごろ病院に戻ると、陣痛の間隔はかなり短くなってきていました。
分娩が始まった!
23時を回ると痛みで会話は全くできなくなり、いよいよ分娩が始まりました。この日は分娩が多く、隣の部屋から陣痛に苦しむ悲鳴や赤ちゃんの泣き声が聞こえていて、この時にはさすがに心の準備と覚悟ができていました。
陣痛が始まってから分娩中まで私がやったのは、助産師さんから教えてもらいながらのいきみ逃しと、とにかく妻に声をかけることでした。いきみ逃しは、助産師さんから教えてもらった通りに、妻からリクエストがあればその通りにやりましょう。どんな夫でもサポートできるはずです!声がけは精神的サポートですが、人によっては逆効果かもです…
赤ちゃんの頭が見えてから、「もう一回いきんで出てこなかったら会陰切開するかも」と先生。この時妻は意識もうろうで酸素マスクをしていました。正直この時は「妻に何かあったら」と泣きそうになるほど心配で、必死に声をかけていたのを覚えています。妻は意識が薄く覚えていないそうです
その後のいきみでベビはスルーっと出てきました。でも全然泣き声をあげません。小児科の先生が少し離れた場所で、管を入れたり電気ショックのようなことをしています。心の中でベビのことはめちゃくちゃ心配な中、無事に出産を終えた頑張りを二人で共有していました。お腹から出てきて何分か経って初めて、「オギャアー」と小さくかわいい声が聞こえました。その瞬間、夫婦二人とも自然に涙が出てきて、「良かったね」と泣きながらお互いに安心を確かめました。
分娩開始から数十分で出てきたので、我が家のベビは2月24日生まれです。在胎34週6日、出生体重は1984gでした。「早生まれになるかな?」なんてのんきな両親とは正反対で、ベビはとにかく早く出てきたかったみたいです😌
大病院に救急搬送されてから生まれるまで、半日のできごとでした。
出産後すぐNICUに入院することに
先生からは、「早産だから生まれてもすぐNICUに連れていくから覚悟してね」と言われていたんですが、なんと3人一緒に写真を撮ってくれました!
その後息子はすぐにNICU:新生児集中治療室に連れていかれました…
私が帰った後、日付変わって3時半ごろ、妻から「ベビに会いに行ってきた!」と動画が送られてきました。鼻にゾウのような管、口には栄養補給の細い管、ほかにも心拍モニターなどいろいろつけた小さい小さい人間が映っていて(ゾウさんスタイルと名付けました)、それはもうこの世のものとは思えないかわいさでした。
自分の子どもってこんなにかわいいんですね…みんなより体は少し小さいけど、懸命に生きている姿を見て本当に感激しました。
ベビのNICU入院編はこちらから。
我が家の実際の出産費用と、費用に使える制度の紹介をこちらの記事でしています。合わせてどうぞ。
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